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記録5 [病歴]

2016/9/16(金)[曇り][小雨]

宗太郎の最後の病気です
暗い話ですのでスルーしてくださってかまわないですよ〜


「悪性リンパ腫1
2010年03月11日(木)
宗太郎が逝ってしまって2度目の春です
宗太郎の最期の病気を記録しておきたいと思います

宗太郎の様子がおかしくなったのは2008年2月の半ば頃
夜中に吐いたようで朝いつもと様子が違ったので急いで
病院に連れて行き薬をもらい様子を見ることに
その後もう1度薬をもらって落ち着いていました
(この時の医師は初めての先生で胃腸が悪いと
 診断しました)

そして2月の終わりまた宗太郎は吐きこの時は朝早く
時間外で診てもらったと記憶しています
この医師も初めての先生でした
宗太郎が大人しい様子を見て「補助する人がいなくても
大丈夫そうなのでレントゲンを撮りましょう」と
言ってくれました

レントゲン写真を見せられて説明を受け
「即日入院近日中に手術です」と言われ思わず
宗太郎の首に抱きついて泣いていました
『もしかするとこの子にもう会えないかもしれない』

悪性リンパ腫でした
腸の周りにテニスボールくらいのガンが出来ていたのです
周りだった為に便が出ないという事もなく気づかずにここまで
来てしまったのだろうという話でした

2月の半ば最初に病院に行った時に携帯で撮った宗太郎です
1.jpg
手術が前提でその日宗太郎を預けて帰りそして翌朝
病院から電話で緊急手術をしたいので同意して欲しいと
連絡がありました
もちろん同意して準備が出来次第手術に入る事になり
主人と私が病院に行き立ち会いも出来ると言われたのですが
耐えられそうになかったので手術室の前で待ちました

この手術で病巣を全て取り除けるわけではないし
転移している可能性もあると説明を受けていました

手術の途中で院長先生が出て来ておっしゃいました
「5分しかあげられませんが
       安楽死させてあげるか選んで下さい」と

院長先生はその時に助からないとわかっていたのでしょう
でも、主人も私も諦めきれませんでした
このまま宗太郎を死なせるわけにはいかないと思ったのです
飼い主の身勝手なのかもしれません
泣くだけの私に主人が決断してくれました
手術をしてもらって出来る限りの治療をすると

手術にどくれくらい時間がかかったのかも覚えていません
2、3時間でしょうか
手術が終わり転移していたので覚悟はしてくださいと言われ
麻酔でぼんやりとした宗太郎を撫でて息をしている事に
安堵してその日は帰りました

そして1週間面会時間はほんの5分ですが私は毎朝顔を見に行き
主人は間に合えば帰りに寄って顔を見て来る日々でした
術後3日間は絶食です食いしん坊の宗太郎は辛かったと思います
私が会いに行っても医師が他の患畜の為の食事を用意していると
「宗ちゃんはまだ食べられないんだよ」と言われても
視線がずっと医師を追っていました
その後食べられるようになり回復に向かっているはずでした

この時はまだ治らなくても治療で延命できると信じていました
主人がインターネットでいろいろ調べ術後の体力が回復したら
漢方薬で治療する手はずも整えていました
薬はかかりつけ医からではなく遠方の病院から送ってもらう事で
手術をしてくれた病院の担当医にも了解して頂いていました

悪性リンパ腫2
2010年03月12日(金)
1度目の手術から1週間後再度緊急手術に・・・
病院側も私達が同意するだろうという前提で連絡をくれました
1度目の手術後食欲も回復していたのでかなりショックでした

それでも宗太郎は2度目の手術も耐えてまた生きて手術室から
出て来てくれました

2度目の手術から3日目くらいに医師から「危ない状態だ」
と告げられその日午前中ケージから出してもらった宗太郎に
「大好きよ」「ありがとう」と撫でながら話しました
お昼には主人と義父が面会に来て久しぶりに宗太郎は
家族に囲まれました
午後も面会時間ぎりぎりまで宗太郎と過ごし翌日もまた
ずっと一緒にいるつもりで病院を訪れると調子が悪いので
ケージから出せないと言われ扉を開け放した状態で
宗太郎の側につきそっていました

苦しい呼吸の合間に2度私を探すそぶりをして
宗太郎の呼吸はゆっくりになっていきました
そばにいた医師に告げると外来に出ていた担当医を呼び
心臓マッサージをしてくれたのですがもう宗太郎の目に
光がない事に気づき「息を吹き返しても苦しむだけだから」
と蘇生処置をやめてもらいました

優柔不断な私はいつも大事な決断を主人に任せていました
でもこの時はこれ以上宗太郎を苦しませたくないと思い
宗太郎の死を決めました
2008年3月12日午前11時36分頃宗太郎は息をひきとりました
今日は宗太郎の命日です

医師が箱を用意してくれたのですが私では運べそうもないので
大判のタオルで包んで抱えてタクシーに乗せてもらいました
タクシーの中に毛が落ちないようにと包んでもらったものの
顔までは隠せませんでした
私にとっては可愛い可愛い宗太郎でも遺体ですので
運転手さんに「すみません」と謝ると宗太郎の顔を見て
「まだ生きているようだね」と気遣ってくれました

そして数日後
手術後何も口に出来ずお水を欲しがっていたので
お骨になって戻って来た宗太郎にコップいっぱいの
お水をあげました
宗太郎が入院してからどれだけ泣いたでしょうか
今はもう遺骨を見ても泣かなくなりましたが半年くらいは
何をしていてもふっと思い出しては泣いていました
もう2年も経ってしまったんだなぁと思うと寂しいです
最期の時を振り返るとやっぱりまだまだ涙涙なのですが
私の記憶が曖昧になってしまう前に書いておこうと思いました

2度目の診察の時に宗太郎の病気に気づいてくれ担当してくれた
医師が今奈々を診てくれています」



昔の記事ですが最後まで読んで頂いてありがとうございました
記録を残すにあたり一応読み返し文章を手直ししたのですが
さすがに宗太郎の最期の時の事を思い出してしまい、また
涙涙になってしまいました^^;
8年も経っていて細かい事は覚えていないと思っていたのに
まるで昨日の事のようにあの時の気持ちまで蘇ってくる
ものなんですね・・・
まだこちらにない奈々の病歴がひとつあるので
頑張って残そうと思います

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