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記録4 [病歴]

2016/9/15(木)[曇り]




さて今日は宗太郎の記事です〜
アレルギー
2009年05月06日(水)
宗太郎にアレルギーが出たのは我が家に来て初めての春でした
脇と股がピンク色になり近くの病院に連れて行った所
「シャンプーのかぶれ」と言われたのですが疑っていたので
別の病院に行きそこでアカラスが発覚[バッド(下向き矢印)]
アカラスの治療に入ったため本格的にアレルギーの治療を
するのは別の病院でアカラスを卒業してからでした

当時血液検査ではアレルギーの特定は難しいと言われたので
怪しいものは排除するしかなく牛肉はアレルギーが出やすい
と言われフードもカンガルーやラムにしたりおからを与えて
みたりと試行錯誤でした
おやつが焼き海苔と馬のアキレスになったのもこの頃です
(焼き海苔は味なしです)
接触アレルギーも考えられるので寝床は綿のタオルに変えたり
疑わしい事があると次々と試してみました
(その後の検査で実は綿も大豆もダメだったのですが(;;))
首輪から胴輪にかえたのも宗太郎の首が赤くなった為でした
(皮の首輪がいけなかったのかもしれません)
治療は痒みがひどくなるとステロイドを飲ませカラーをして
湿気をとるためにシッカロールをはたくくらいしか
出来ずそのうち指の股も赤くなりカラーをしていないと
そこら中舐めたり噛んだりしていました

病院の治療以外になんとかならないものかと殺菌作用があるお茶
がいいのではと緑茶で脚を洗ってみたり温泉のもとが効くと聞き
試したりしてみたものの、どれも効果は今ひとつでした

亡くなる前年に遠方の病院でのシャンプー治療をネットで知り
パッチテストと通院中の病院のアレルギー検査の結果を送り
診てもらうと、脇や股に細菌がいる事がわかり脱ステロイドを
目指しシャンプー療法を始めました

2日おきにシャンプーです
宗太郎の症状にあわせたシャンプーを病院で購入し
シャンプー剤をシャワーで泡立てて10分つけた後流し
リンスを泡立てて10分つけ流します

宗太郎も嫌々ながら自分の為だという事はわかっていたようで
わりと良い子にシャンプーとドライヤーをさせてくれました

2007年の12月から始めて、宗太郎が入院する翌年2月の終わり
まで続けかなり調子は良くカラーをしていなくても大丈夫な
くらいまでになっていました
入院中痒みに悩まされなかっただろう事が唯一の救いです

ただ宗太郎が亡くなる原因になった病気にステロイドが
効いていただろうと医師に言われ複雑な心境でした
ステロイドは身体に良くないからと脱ステロイドを目指して
シャンプー治療を始めたのに・・・
病院に通い慣れてしまって病気に気づいてあげられなかった
事が悔やまれてなりません




アカラスの時病院で購入したエリカラは色は不透明なブルーで
重いし宗太郎では口が届いてしまうのでボスが半透明の軽い
素材で宗&奈々に合わせたカラーを自作したのですが
長時間しているのでストレスもたまったのでしょう
機嫌が悪いとわざと私の足にぶつけながら歩いてました
可哀相だけどそんな所も可愛かったね〜宗太郎♡
アトム2.jpg